イースター島のモアイ像。ホントはお目目があった!って知ってましたか?
モアイ像が有名なイースター島は、太平洋に浮かぶチリ領に属する火山島です。
チリ本土から約3,700km離れ、周囲に他の島もないことから絶海の孤島と呼ばれています。海に囲まれたイースター島では魚介料理が名物で、なかでも魚介をフレッシュな野菜や果物と一緒にマリネした料理セビーチェは見た目もカラフルで美しく、島の伝統料理です。
そんな類例のない文化を築いてきたイースター島は、1995年に「ラパ・ヌイ国立公園」として世界文化遺産に登録されました。
南太平洋に浮かぶ小さな島、イースター島は、北海道の利尻島とほぼ同じ大きさ。周りには他に島らしい島もありませんが、モアイを一目見ようとたくさんの観光客が世界中から訪れます。イースター島の大地には、現在はほとんど木が生えていません。しかし、かつては豊かな森林に恵まれていたといわれています。その証拠に、高さ20メートルを超えるヤシの木の化石や、木の花粉の化石が見つかっています。
ではなぜ、森林はなくなってしまったのでしょうか?その主な原因は、人口の増加やモアイの製造だといわれているのです。島には5世紀頃、ポリネシアのマーケサス諸島などからたくさんの人が移民し、森林を次々に切り開いて農地を開拓しました。さらにその後、モアイの製作が始まり、島のあちこちに巨大な石像を運ぶレールとロープを作るために、たくさんの木が使用されたのです。イースター島のモアイの数は約1000体もあるようです。 どれほどの木が運搬のために使用されたのか、その量は計り知れません。森林破壊が繰り返された結果、イースター島では表土が流出し、畑が荒廃、作物がとれなくなりました。さらに漁や移動の手段となるカヌーの生産ができなくなり、深刻な食糧不足が島を襲い、それは人々に争いをもたらしたのです。
元々のモアイ像には、目玉がありました。
現在でも一部のモアイ像には目が残っています。
目を入れることで霊力(マナ)が宿り、神聖な力が与えられると考えられていました。
敵対する部族は相手側のモアイから霊力を奪えば戦争に勝てると考え、モアイの目の壊し合いが始まり、すべてのモアイ像から目が壊され・奪われてしまったわけなんです。
1862年以降、奴隷商人が次々と島民をペルーに連行し、1877年には老人と子供だけのわずか100人ほどに激減したといわれています。イースター島の悲劇は限られた資源と貧しい環境でありながら、資源浪費型の極端な偶像崇拝の祭祀文化を競争的に発展させてしまった悲劇です。結局、人も森林も失ったイースター島には、荒れた土地とモアイだけが残ることに。。
歴史を知ると、呑気な風情のモアイ像が、人間の愚かな行いへ空虚な目線を注いでいるような気になります。
さらに、今の世の中の出来事と照らし合わせてみると、自然破壊、食料不足、戦争。縮図があるような気がしてなりません。
改めて、資源浪費型の生活スタイルから離れて、なるべく自然に従って生きることの大切さを考えさせられると思いませんか?
ちなみに、日本の株式会社タダノが、1992年からクレーンなどをイースター島に持ち込んで、島南部の15体の像の復元・修復などを行い、使用後のクレーンなどをイースター島に寄贈したのだそうです!これはテレビ番組「世界ふしぎ発見」で1988年の秋にイースター島を特集した際、「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」という知事の声を放送したところ、黒柳徹子さんが「日本の企業が助けてあげればいいのに」という内容の発言をしたがきっかけなのだそうです。
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